2015年10月8日木曜日

独仏共同出資のテレビ局Arte(アルテ)の福島ルポ「フクシマ帰還政策」 字幕動画と全文書き起こし https://www.youtube.com/watch?v=QoCYsyhs5_0 ARTEルポルタージェへようこそ。 今日はドイツ再統一の日です。 今日は日本の福島にまず参ります。 原発事故から4年半、当時避難した人たちが故郷に帰還することになっていますが、そのほとんどは、帰りたくないと思っているようです。 そこで政府は、疑わしいやり方で、住民に帰還するよう説得しています。 さて、2011年3月11日に世界的に名を知られることになった日本のある地方、同時に、予測しにくいリスクをかかえている原子力産業の同義語ともなってしまいました。 フクシマ、です。 4年半前の最悪事故発生後、住民は放射能に汚染された故郷を離れることを余儀なくされました。 すぐに戻りたいと望んでいた人は、たくさんいましたが、実際には予想以上に避難生活が、長引きました。 今度は、ゴーストタウンと化した村で生活、というわけですが、それを決心するのは主にお年寄りたちです。 原発最悪事故の記憶をできれば、「最終処分」してしまいたい政府のプレッシャーに折れた人たちです。 「ヒカリプレス」チームが取材しました。 この風景は、日本のお役所の人たちには、大変好ましいものだろう。 サーファーたちが帰ってきたのだ。福島の海に 大地震から4年半経って戻ってきた。 これも日常のひとコマだ。 たとえ小さなひとコマであろうと。 2011年3月11日 福島第一原発の半径20kmに住む38万人以上の人が避難を余儀なくされた。 今日まで、その中でたった一つの村にしか住民の帰還が許されていない。 楢葉町である。 そのほかの三町村、双葉町、大熊町、富岡町は赤い区域に入っており、ここは立ち入り禁止だ。 戻ってきたサーファーたちは、近くにある黒い袋が気にならないようだ。 ここには放射能で汚染された土が、詰められている。 しかし、昔の生活を永遠に失ってしまった人もたくさんいる。 いまだに15万人が避難生活を強いられている。 警戒区域外に急いで建てられた。 このような仮設住宅に彼らは住んでいる。 ケン氏はプロテスタントの宣教師で、避難住民を毎週訪問している。 彼らの話に今でも耳を傾ける。 数少ない一人だ。 (仮設住宅に住む人) 「部屋は三つだけ」 「ここに一つ、二つ、そして三つ、それにトイレと風呂」 この小さなバンガローの家賃は約600ユーロだ。 しかし政府は、住民が除染した住宅に帰還するよう、賠償金を次第に減らす方針だ。 (ケン氏) 「それで住民の皆さんは、楢葉に戻っていかれたのですか?」 (仮設住宅に住む人) 「ええ、近所の人が楢葉に戻りましたよ」 「でも、かなりさびしいみたいですね、誰も知っている人がいなくて」 「ここの方がよかったと言ってます」 保守の阿部首相は、2020年に東京オリンピックが開催されるまでに、フクシマという一章を閉じてしまいたいのだ。 (仮設住宅に住む人) 「おそらくそれが、本当の理由でしょうね」 「オリンピックが近づいてきているので、政府は楢葉町を厄介払いしてしまいたいんだ」 「もうここのことで一刻も時間を費やしたくないと」 「ことに外国の人が来て、こういう仮設住宅を見せてはいけないというのでね」 つまり官庁が求めているのは、恐れられている半径20キロの警戒地区に、住民が自主的に帰還するよう促すことだ。 この中の楢葉町はいまや、問題なしと避難指示解除となったからだ。 (ケン氏) 「この中学はまだ開校していません」 「来年の春か、あるいは再来年の春には開校するでしょうかね」 ケン氏が探しているのは、年金生活者の老夫婦だ。 彼らは2週間前に自宅に戻ってきたのだ。 (ケン氏) 「あ、これかな?」 「はい、多分ここだな」 「こんにちは」 「どうも、草野さん、こんにちは」 「お帰りになって、いかがです?」 「かなり、探しましたよ」 (草野さん) 「4年半前に避難させられたときは、着ているものしかなくてね」 「数日くらいで帰れると思ってたからね」 彼らは自宅に戻れてとてもうれしいと思っている。 そして、余計者のように扱われなく、なって、ほっとしている。 (草野さん) 「この車は息子が東京で買ってくれましてね」 「ナンバープレートはそのままにしました」 (草野夫人) 「福島のナンバーだと、差別されるのでね」 「かなりひどいことを言われるんですよ。だから、私は怖くて」 「そういう人たちは、そばに来るな、福島の連中は近づくな、というんです」 官庁からはもう賠償金はもらえなくなった。 彼らに残されたのは、古い家をリフォームし、そこにまた住み始めることだけだ。 (草野夫人) 「仮設住宅ではただ悲しくて、絶望してました」 「未来というものがなくて」 「これからどうなるかわからず、家族にも会えず」 「そして我が家も放射能で汚染されていて」 「ただただ死を待つばかり、という感じでね」 「仮設住宅では、一日も早く我が家に、帰れる日が待ち遠しい、と言っていましたが」 (ケン氏) 「でも正直言って、そんなに早く、帰れる日が来るとは思ってなかったです」 ゴーストタウンとなった、近所に住む人もいない町に住むというのは、たやすいことではない。 店はなくなり、植生は伸び放題だ。 ここに帰ってきてもいいと思うのは、お年寄りばかりだ。 9月18日、政府は復興相を楢葉町へ、送り込んだ。 楢葉町の住民たちに納得してもらい、一日も早い帰還をと訴えるためだ。 (竹下復興相) 「この開会式は、町の皆様がだんだんに、故郷に帰れるようになったという証拠です」 「私は、このプロセスをさらに加速化して、いかなければならないと思っています」 「何よりも、それが皆様のためになると、信じております」 政府は、除染が確実に進んでいると請合った。 町はまた居住可能だ、と町長が宣誓する。 そうしてあらゆる肩書きを持った人たちが、公には除染され整備された楢葉町の公園を、なんの心配もなく散歩する。 (楢葉町・松本町長) 「我々は楢葉町が復興に関し、見本となることを願っています」 「そして、これに続こうとする自治体に、援助を惜しまないつもりです」 今日楢葉町に集まった人たちは、多くはない。 かつての住民たちは、この開会式をむしろ、家族との再開のために利用したようだ。 この公園はかつて住民に愛された場所だったが、今では不安が募る。 (「2015いくならならは。リニューアルフェスタ」に参加した人) 「私はふるさとが恋しいんです」 「町がいまや昔とは違ってしまっていても、私は帰りたいと思ってます」 「前と同じようにはきっとならないでしょう」 「除染活動は進んでいると言ってますけど、まだ線量の高いところもあるそうです」 官庁の努力にもかかわらず、楢葉町に帰ってくる住民は10%に満たない。 この日、これまで一番若い人が帰還した。 猪狩さんだ。 彼女は55歳。 今日彼女は家族と一緒に、彼岸参りをする。 (猪狩さん) 「こんにちは」 (墓参りに来た人) 「まあ、お久しぶりですね」 「五年前の猪狩さんのお葬式以来ですね」 避難を強いられてから初めて、猪狩家は、今日晴れて先祖の墓参りができた。 小さな墓地にある先祖のお墓で、線香に火を点け、先祖の菩提を供養して、酒を捧げる。 (猪狩さん) 「8月15日のお盆には、通行許可書をもらったのですが」 「そんなにゆっくりはできなかったので」 「家族のいる場所にこうして帰れるというのは、私たちにはとても象徴的な意味があり」 「とても感動しています」 猪狩さんはこの大きな家に、ご主人と一緒に住む。 彼は、事故を起こした原発の電力会社、東電で働いている。 しかし彼女はそのことについては、話したくないという。 彼女は、自分が帰ってきたのは、単に故郷が恋しかったからで、ご主人が数キロ先の原発で、働いているからではないという。 (猪狩さん) 「家族は福島県全体に散り散りに、なってしまっていたんですね」 「主人の家族は仮設住宅に住み、私の姉は姪のいるいわき市に」 「それでみんながまた一緒になれるように私はここに帰ることにしたんです」 猪狩さんはまたこうも告白してくれた。 原発周辺は除染がしっかりおこなわれて、いるので、かえってそばにいるほうが安心だと、彼女は出来る限り自分に 叱咤激励しているようだ。 楢葉町の山間では、このように、お上から命じられた楽観主義を、断固として突っぱねる人たちがいる。 90年代から、この寺の75歳になる住職は、原発に反対してきた。 彼が危惧してきたことが、本当になってしまったのだ。 永遠に傷跡を残し続ける。 第二のチェルノブイリが生まれてしまった。 (早川住職) 「檀家の人たちが毎日通る道の線量を、測ったのですが」 「0.3マイクロシーベルトのところもありますが、そこから20m先に行くと0.8に増えます」 「いや場所によっては1マイクロシーベルトのところさえあります」 「これは、役所が公開している値の3倍から4倍にもあたります」 政府がおこなったアンケート調査を、すべて読んだ住職の早川氏は、2011年に避難した30歳以下の住民のうち2%しかここに戻ってこようとは思っていないことをよく知っている。 彼の寺が、町全体が消えてなくなってしまうというのはどういうことだろうか。 (早川住職) 「子供を持つ家族がここに帰りたがらない、理由の一つは、線量が低くならないから」 「二つ目の理由は、この先40年の間にもう一度、原発事故が起きないとは言えないからです」 「人々はもう信頼などしていません」 「ここが安全などとはもう思えないのです」 高年齢で末期のガンを抱えているにもかかわらず、彼は闘い続けるつもりだ。 二日後、彼はいわき市にある。 もう一つの寺に出かけた。 避難指定された福島の7つの市町村が、集会を催したのだ。 彼らは約1万人の住民を代表して、初めて、賠償金を求めて、集団訴訟を起こした。 早川住職はここで楢葉町を代表している。 (早川住職) 「私たちの訴訟は6段階目を迎えました」 「楢葉町からは589人の避難住民の方たちが、原告になられています」 「でもここには新しい顔ぶれも、見られます」 「南相馬からも来ていらっしゃいますね」 「ここで私たちの闘争を支援してくださり、心強く思います」 (集団訴訟のメンバー) 「南相馬の方たちとも皆で力合わせ、闘いましょう」 「自分たちのふるさとを守り、ほかの人たちも私たちに続くことを願い」 「一緒に戦い抜こう!がんばろう!」 (デモのシュプレヒコール) 「東電はフクシマ原発事故の責任を取れ!」 司法当局が、調停のため東電の弁護士と話し合いをするよう定めた日程が今日だ。 彼らは揃って法務省に向かった。 しかしそのうち20人の代表者しか中に入ることを許されなかった。 (裁判所の係りの人) 「中に入らないでください、カメラの持ち込みは禁止です」 福島からの人たちはジャーナリストを連れてきてはいけないという。 東電の代表者たちは、証人がいない。 状況でしか話し合いに応じないという。 (集団訴訟のメンバー) 「ジャーナリストがどうしていては、いけないのか、説明してくださいよ」 (裁判所の腕章を付けた人) 「承諾できません、カメラの持ち込みは、禁止されているんです」 「それは住民たちとの約束には、入っていませんからね」 「マスコミの人たちを連れてくるべきではなかったんですよ」 (早川住職) 「そんなことは約束しなかったぞ」 「これが今の日本の現実ですよ」 「彼らは事実を隠そうとしているんです。恥ずかしいことをしてるとわかってるんだ」 「彼らがしていることは、政府が、私たちに吹き込もうとしていることと同じだ」 「原子力エネルギーはいいことだとね。あんなことがあった今でもね」 (裁判所の腕章を付けた人) 「住職、そういうことは言うもんじゃないですよ。さあ、早くここから出てください」 二時間後、早川住職は東電の弁護士との話し合いから出てきた。 (早川住職) 「今日でもう会うのは13回目だが」 「彼らは相変わらず傲慢な態度で、いまだに現実を否定している」 「彼らは被害者も、自分たちが起こした損害もすべて無視している」 「彼らの意見ははっきりしています。私たちを見捨てる気なんです」 「このことについては、もう変わりませんね」 福島地方に向かう国道6号を、なにもなかったかのように車が走る。 しかし次第に車の数が少なくなる。 楢葉町の近郊では町の様子は、スローモーションに陥ったかのようだ。 工場もなければ、スクールバスもない。 唯一機能しているのは、この小さなコンビニストアだけだ。 かつては人口7000人を数えた町でだ。 原発事故の前は、楢葉町には、小さい店が数々あったが、今日あるのは、村尾さんが経営するこのストアだけだ。 彼女は目が回るほど忙しい。 (村尾さん) 「7800円になります。ありがとうございました」 「お待たせしました。はい、ありがとうございます」 「店はここしかないのでね」 「うちがなければ、原発で働く作業員は水さえ手に入りませんよ」 「はい、どうぞ」 「きつい仕事をしているんでしょうに、困ってしまうでしょう」 「でも私も疲れてますよ」 「次の方、お待たせしました」 2千人の作業員が毎日訪れ、ここで昼食、コーヒー、夕食を買い求める。 事故を起こした原発はここから、約15キロしか離れていない。 (村尾さん) 「いえ、私は別に裕福じゃないですよ」 「16人の従業員がいて、皆に給料を払いますでしょう」 「先月は売上げが2万2千ユーロでしたけど」 「それでようやく生き延びれる、という感じですね」 「皆で働いて、作業員を助けてるわけですね」 「私たちがやらなければ、誰がしてあげるんでしょう」 原子炉の作業員にとっては、このコンビニがあることで、例えほんの少しであっても、「日常に戻った」感じがするのだ。 ここに買い物に来る作業員のほとんどは、インタビューに応じようとしない。 仕事を失いたくないからだ。 (作業員A) 「大丈夫です、大丈夫」 駐車場でインタビューに、応じてくれた人がいた。 でも、口が軽いと非難されないよう内密におこなうことを条件にした。 (作業員B) 「放射線量は管理下にあると思います」 「それにそんなにハードには、働かされていないですよ」 「なにを言われているかは知りませんけど、テレビでは大丈夫といわれてますね」 「そこで働くからと言って特別勇気がいるわけじゃありません」 「そんなことないですよ、なんにも問題はないので、怖いことはありません」 楢葉町の北部にある南相馬は、もう少し大きい町だ。 福島第一からは20km離れている。 2011年には住民の3分の2が、数日間に姿を消した。 南相馬市はでも立ち入り禁止区域には、入っていなかったので、事故から1年後には、8万人いた住民の4分の3が戻ってきた。 ここに政府は、市民の放射能被ばくを、検査する研究センターを設立した。 市立の総合病院の中にだ。 (研究センターのスタッフA) 「はい、高田さん。ここに入ってください」 「そこに入って、背中を壁にぴったりつけて立ってください」 「大体2分くらいかかりますからね」 (研究センターのスタッフB) 「ここではセシウムを測定しています」 「右側のは体内のカドミウムです」 「測定しなければ、どれくらい被ばくしているかは、分かりません」 毎日、何人もの人たちが自主的に、あらゆる検査を受けにやってくる。 (検査受信者) 「世界中の人にこの検査の結果を知ってもらい被ばく量が危ないのかどうか」 「ガンを引き起こすのかどうか、知ってほしいですね」 「私は事故発生以来検査してますけど、死ぬまでずっと続けなければいけないんです」 この病院では。検査の結果を、市のホームページで公表している。 子供を持つ家族にこの町に帰ってきて、ほしいためだ。 (研究センターのスタッフC) 「高い被ばく線量が見つかるのは、高齢の方が多いですね」 「話を聞いてみると、前からの習慣を変えられずに」 「山で野生のきのこ狩りをしている。そういう人は百人に一人ですね」 「で、聞いてみると、きのこをとって食べた、と告白します」 そしてまだ避難生活をしている。 2万人の人の信頼を取り戻そうと南相馬の病院では100万ドルをかけて、この赤ちゃん用のスキャナーを購入した これは日本でこれを含め三台しかない。 (研究センターのスタッフC) 「赤ちゃんをこの中で腹ばいで手を上にして、計測します」 「でも、赤ちゃんは大抵、この状態でじっとしていられず」 「すぐに泣いてしまうので、取り出して検査を中断し」 「また、中に寝かせます。検査は4分なのですが」 「中断するので20分くらい、かかることがほとんどですね」 「だから一日に10人の赤ちゃんしか検査できません」 「それ以上は無理です」 1年間に、0歳から6歳までの子供800人がここで検査された。 被ばくしている子供たちは一人も見つからなかったという。 南相馬と福島のその他の地方では許容線量が、毎時0.2マイクロシーベルトに引き上げられた。 これは国際標準の2倍にあたる。 この許容線量以下にあたるものは、日本政府からは、危険なしとみなされる。 福島の住民たちはほかの人たちより2倍も、放射線に対する抵抗力があるというのだろうか。 誰もがそう思っているわけではない。 大沢ゆういち氏はエンジニアで、4年前から彼はこの地方の農家の土壌の放射線量を、自分のチームと一緒に測定している。 (放射線量測定チーム) 「1060、0.8」 (大沢ゆういち氏) 「放射能は雨とともに屋根から、この樋を通って来るんです」 「このコンクリートの部分に濃縮します」 「そういうのがここにはたくさんあります」 「こういうのは土を削いだところで、取り除けないんです」 「取っても取ってもできますからね、ここからサンプルを取って分析しますが」 「こういうところを、ホットスポットと呼びます」 これらのボランティアの人たちは、説得力ある理由のために、自分たちの健康を危険にさらしている。 彼らは、自分たちの町の住民に避難してほしいのだ。 なぜなら、彼らは放射線量が高くて、住むのは危険だと考えているからだ。 (放射線量測定チーム) 「0.36、0.42」 集計されたデータは、政府を提訴するときの証拠資料になる。 大沢さんは来年4月に提訴するつもりだ。 (大沢ゆういちさん) 「ここのコンクリートにもかなり、濃縮度の高い線量が確認されました」 「ここは高いのでそれほど危険ではありませんが」 「これが低ければ、そこに人が座ったり触ったりします」 「粒子が身体に取り込まれることはありませんが、座ればお尻から接触してしまいます」 「そうするとそこから被ばくしてしまうのです」 「そうやって、取り返しのつかない損害を、被ってしまいます」 畑から畑と計測する放射線量はかなり異なる場合がある。 時には数センチの違いで、ガイガーカウンターが狂ったようになることがある。 ここもその例の一つだ。 田んぼのすぐそばである。 (大沢ゆういちさん) 「見てください、ガイガーカウンターが、2.94マイクロシーベルトを示しています」 「非常に高い」 「今度はこれを、田んぼの土のすぐそばに置いてみます」 「地面では、線量が急激に、上がってきます」 毎時19.3マイクロシーベルト。 これは法的基準の100倍だ。 (大沢ゆういちさん) 「官庁もここで測定しているんですよ」 「でも、必ず一番線量の低いところを、選んで測っているんです」 「0.3とか0.4マイクロシーベルトというような、ね」 「そしてその値なら大丈夫、と農家の人を説得するんです」 「もう安全だ、この地方はもう危険がなく、畑を耕して、ここに住んでも大丈夫、と」 「でも私は違う考えです」 放射能はどうやら、政府が監視している。 地域だけに留まってはくれないようだ。 放射能はこの山間にも広がっている。 そして山は、除染など決して不可能だ。 それをするなら、植生をすべて、除去しなければならなくなる。 (大沢ゆういちさん) 「ほかの地方と違って、ここにはダムがないのです」 「そしてダムがなければ、水も放射能も止めることは不可能です」 「放射能は山からやってきて、南相馬の飲料水を汚染します」 「そして2週間前に洪水があったとき、汚染土などの入ったビニール袋が」 「たくさん、川に流されてしまったのです」 「ここで川に飲み込まれてしまったんですよ」 彼は、政府やお役所がいうことは、もう全然信用していない。 お上は、何でもかんでも大丈夫、としか言わない。 しかし、政府を信頼していないのは、彼一人ではない。 300キロ離れたここ東京でも、数週間前から、日本人が普通はあまりしないことをしている。 デモ、だ。 革命にも似た感覚が今、日本を覆っている。 彼らの標的は、安倍晋三首相の政治だ。 原発を再稼動しようとする彼の政策は、大勢の日本人に衝撃を与えている。 (デモ参加の女性) 「フクシマ事故以来、安倍の政治には、ことごとく賛成できません」 「38万人もの人が避難しなければ、ならなかったというのに」 「また原発を再稼動しようなんて、信じられません」 「現在ですら、まだ15万人の人が、避難生活を強いられているんです」 しかし安倍晋三は、多くの日本人にとって、もっと罪深いことをしようとしている。 彼はこれまでの防衛原則を見直して、日本が海外で軍事行動に参加できるように、法を作り変えようとしているのだ。 この法案が、第二次世界大戦以来、平和政策を続けてきた日本に、激しい憤慨の嵐を巻き起こした。 今日本では、反原発運動家たちが、平和運動家たちと手を取り合って、一緒に行動している。 翻訳:無限遠点

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